日本には2400を超えるゴルフ場がある。100カ所以上のゴルフ場を所有する企業もある中、わずか1カ所のゴルフ場を経営する経営者の抱負にしては大げさにも聞こえるが、鄭氏は「成功する根拠も自信もある」と堂々と話す。慢性的な赤字で倒産の危機に追い込まれていたゴルフ場を買収し、4年で黒字に転換させた経験があるためだ。今年の売上高は75億ウォン(約7億4000万円)を見込んでいる。日本にあるゴルフ場の平均売上高の2倍に近い。
鄭氏は1989年に韓国の旅行会社の東京駐在員として渡日。16年にわたり日本人観光客を募り韓国に送り込む業務を担当した。年間13万人を集客し、実力を認められていたにもかかわらず、2004年に退職し起業に乗り出したのは、事業の方向を変えなければならないという確信があったため。日本経済は低迷から抜け出せずにいるが、韓国経済は成長を続けており、逆に韓国人観光客を日本に誘致する仕事を始めるときだと考えた。
北海道で旅行業と貿易業を手掛ける会社を設立したが、大韓航空の直行便就航が遅れ、わずか1年で畳んだ。
翌年、青森県に移り本格的に韓国人観光客誘致事業を繰り広げ、事業を支えるために韓国料理の店もオープンした。大学での韓国語講師、旅行業従事者を対象とする韓国文化に関する特別講義を行う活動も続けた。
ゴルフ場との縁は偶然訪れた。韓国文化の伝道師を自負するほど活動したおかげで自身の存在も知られるようになり、07年に福島県のあるゴルフ場から韓国人観光客を誘致したいとの要請を受けた。
「観光客集めこそ最も自信があったのでチャンスだと思った」という鄭氏は、「ゴルフはその特性上、所得水準が高い人が楽しむので、会員制を活用した品格の高いツアー商品を扱えば、韓国からの観光客が押し寄せると確信し要請を受け入れた」と当時を振り返る。
福島県に会社を移してからはゴルフを目的とした観光客の誘致に集中した。それまで年間訪問客が1万5000人余りで赤字にあえいでいたゴルフ場は韓国の顧客約3万5000人を新たに誘致したことで、県内で売上高5位以内に入る優秀なゴルフ場に変身を遂げた。
ビジネスは軌道に乗ったが11年の東日本大震災で全てを失った。ゴルフ場は東京電力福島第1原子力発電所から80キロしか離れておらず、客足は遠のき、放射能による被害などが懸念されたため鄭氏は家族と共に急いで帰国しなければならなかった。
帰国後、最初の職場だった旅行会社に役員として再入社し勤めていたある日、日本の知人から九州のゴルフ場を買収できそうな韓国人を紹介してほしいと頼まれ、下見に訪れたのが阿蘇やまなみリゾートホテル&ゴルフ倶楽部だった。
当時、年間赤字額が10億ウォン発生するほど利用客が少なく、買収に乗り出す人はいなかった。一方、鄭氏は温泉があることに加え、ヒノキの森など自然の地形を生かしていることに魅力を感じ、買収する価値があると考えた。
オーナーに会って韓国人観光客の誘致でゴルフ場を黒字に転換させる自信があると話し買収する意向を示した。福島県での営業で得た3500人を超える韓国人顧客のデータベースがあったため、これを活用する考えだった。
誰も思いつかなかった外国人誘致という発想と熱意に心を打たれたオーナーは好条件を提示。12年に鄭氏が同ゴルフ場のオーナーとなった。
韓国人観光客を誘致し経営1年目から収益を上げた。利益は施設投資や融資返済に充て、16年からは完全黒字化した。現在、ゴルフ場を訪れる韓国人観光客は年間5万6000人余りで、韓国人会員も1400人を超える。
ただ16年に熊本地震が発生したときは危機を感じた。鄭氏は「震度7の地震に見舞われ、全てが終わったと思った」という。地震で熊本空港が閉鎖されたため、福岡にチャーター機を手配し、地震発生の翌日、リゾートに宿泊していた韓国人観光客全員を無事に帰国させた。これを機に韓国人顧客の間で信頼できる会社と評価されるようになり、地震発生後3カ月にわたり営業できなかったにもかかわらず、その年は黒字を記録した。
鄭氏のゴルフ場は短期間に赤字から黒字に転換させた良い例として注目されているという。「日本のゴルフ場経営再建の代表的なモデルにしたい」と語る鄭氏はこれまでの経験を生かして厳しい状況に陥ったゴルフ場を買収し事業拡大に積極的に乗り出す計画だ。韓国だけでなく中国、東南アジアなどからも観光客を誘致すれば十分可能だとしながら、 世界最大規模の在外韓国人経済団体、世界韓人貿易協会(World-OKTA)のネットワークが役に立つだろうと述べた。